公益財団法人 五島美術館

『紫式部日記』は、『源氏物語』の著者紫式部(生歿年未詳)が、平安時代、寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半の間に書き遺した日記。藤原道長の娘であり一条天皇の中宮であった彰子に仕えた紫式部が、彰子の2度の皇子出産とその祝賀の華やかな様子を中心に、当時の権力者道長をめぐる様々な平安貴族の様子を生きいきと描き出した日記文学の傑作である。「紫式部日記絵巻」は、それを約250年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品。もとは全10巻程度の巻物であったと推定。江戸時代以前の伝来は不明。現在はその約4分の1にあたる4巻分が伝わり、五島美術館のほか、大阪・藤田美術館、東京国立博物館、個人コレクターが所蔵する。詞書の筆者を鎌倉時代の能書後京極良経(1169~1206)、絵の筆者を鎌倉時代の絵師藤原信実(?~1233~1266~?)と伝えるが、詳細は不明。五島美術館が収蔵する三段分は、大正9年(1920)に名古屋の森川勘一郎(1887~1980)が発見した巻子本(全五段)の内の第一・二・四段目にあたる。昭和7年(1932)、益田鈍翁(1848~1938)が購入する際に第五段目を切断、森川家に残し(現在、個人蔵)、さらに翌年、鈍翁は第三段目を切り離し掛軸に改装(現在、東京国立博物館蔵)、残りの三段分はその翌年額装となり、戦後、高梨家を経て五島美術館が収蔵することとなった。
(五島美術館収蔵「国宝 紫式部日記絵巻」は、毎年秋に1週間程度展示の予定)

五島本第一段

五島本第一段:絵

五島本第一段:詞書

詞書

寛弘5年(1008)10月17日の夜、昇進した御礼を中宮彰子(藤原道長の娘/988~1074)に啓上しようと、藤原斉信(967~1035/42歳)と藤原実成(975~1044/34歳)が、宮の内侍と紫式部を訪ねる場面。左側に大きく庭を描き、建物を斜めに配した大胆な画面構成を示す。左上の銀の月が、詞書にある「月いとおもしろきに」「月いとあかし」を象徴。旧森川家本五段の内の第一段。

五島本第二段

五島本第二段:絵

五島本第二段:詞書

詞書

寛弘5年(1008)11月1日、皇子誕生50日目の祝の日の様子(五十日の祝)。朽木文様の几帳で仕切られた寝殿の内部に、敦成親王(のちの後一条天皇/1008~36)を抱く中宮彰子(988~1074/21歳 *乳母か大納言の君とする説も)と、髪を上げ正装で奉仕する女房たちを描く。松喰鶴文様の敷物の上に高坏を置き、食膳を配す。右下の女房が、詞書に「おくにゐてくはしくは見侍らす」とある紫式部か。旧森川家本五段の内の第二段。

五島本第三段

五島本第三段:絵

五島本第三段:詞書第二面(第三紙)

詞書

第二段と同じ寛弘5年(1008)11月1日、儀式後の宴会の様子。女房の扇を取り上げ冗談を言う藤原顕光(944~1021/65歳)、素焼きの杯を持ち催馬楽「美濃山」を謡う藤原斉信(967~1035/42歳)、女房装束の褄や袖口の襲の色を観察する藤原実資(957~1046/52歳)、「あなかしこゝのわたりわかむらさきや侯」(詞書)と、紫式部をさがす藤原公任(966~1041/43歳)など、各人の様々な姿や表情を生きいきと描き出す。旧森川家本五段の内の第四段。